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イ・ブル [韓国]

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『イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに』2/4(土)~5/27(日)@森美術館


今回のイ・ブル展を観て思い出したのは、「バラス」のことだった。
沖縄で聴いた話なのだけど、珊瑚の死骸の欠片のことをバラスと言うらしい。
バラスは死骸なのに白くて美しい。ちょっと人骨にも似ている。


               *

人類が滅亡に瀕した世界。人間は人間として形をなさず、遺伝子操作の成れの果ての肉のかたまりとして生きている。(どこか朝鮮人参の形状を思わせる)少女の『サイボーグ』たちも部分的に欠落していて完成品ではなく、間違った施工で足のついているはずのところに腕がついている。『リヴ・フォーエバー』というカラオケ・ポッドに乗っても、永遠の命は保証されなかった。・・・とてもゼロ年代的なSF世界観だ。

イ・ブルの両親は反体制思想を持っていて、常に軍事政権から監視にさらされていたという。計算すると、80年の光州事件の際は15才ぐらいなので、多感な彼女は大きな影響を受けたはずだ。氷の中に暗殺された朴正煕が眠っている『氷が解ける時』という作品は、軍事政権の復活という悪夢を観るようだ。銭湯の湯船のようなバスタブに黒い水がはってあり、周りに雪山を象っている『天と地』という作品は、朝鮮民族の象徴としての白頭山を表しているようだ。(白頭山は天池というカルデラ湖がある)僕は、このあたりの作品がとても印象に残った。

建築家のブルーノ・タウトが希求した理想郷を模した『ブルーノ・タウトに倣って』、また独自の理想を表現しようとした『大きな物語のための模型』は、きらびやかなようで、チープさもあり、わずかな力で壊れてしまいそうな脆弱さを持っている。ユートピアという概念が持つ両義性、脆弱性を見事にあらわしているように思う。たぶん、これは朝鮮半島で生きることの実感が込められている気がする。
また、それとは対極的な、長年飼っていた犬の死を悼む作品群は、同じポーズをとった犬がビーズや布、様々な材質でいくつもいくつも偏執症的に作られていた。

全般的に、無機質な印象をもつ展示だったが、スパンコールで飾られた生魚が腐って行く過程を見せるという『華厳』('91)のインスタレーション映像も流れていた。ニューヨーク近代美術館で、あまりの匂いに展示が中止に追い込まれたという作品だ。森美術館も、絶対に許されないだろうが、そういう匂いが漂っていたとしたら、この展示も、また別の印象になっていたかもしれない。



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アジア現代美術 個展シリーズ3『イ・ブル展 世界の舞台』2003年6/7~7/13@ 国際交流基金フォーラムのチラシ
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